新美南吉さんの「手ぶくろを買いに」は色んな形の本で楽しめますが、この絵本には黒井健さんの温かいイラストが描かれています
この本は、『校定新美南吉全集』(大日本図書刊)所収の「手袋を買ひに」を底本としています。旧仮名を新仮名にあらため、絵本の構成上、一部改行したほかは、原文のままです。
引用元:絵本「手ぶくろを買いに」(新美南吉/作・黒井健/絵・偕成社/出版社)奥付より
ネタバレ多数です
ご了承ください
「手ぶくろを買いに」を読んで気付くのは、情景や色の素敵な表現
本編より抜粋//
- 真綿のように柔らかい雪
- 雪の粉が、しぶきのように飛び散って小さい虹がすっと映るのでした。
- まだ枝と枝の間から白い絹糸のように雪がこぼれていました。
- 牡丹色になった両手
- 月が出たので、狐の毛なみが銀色に光り、その足あとには、コバルトの影がたまりました。
雪の柔らかさや粉雪のサラサラとしている様子が、文字だけでも思い描けます。
「絹糸のように」という表現は枝からこぼれ落ちる雪を表していますが、この言葉だけで木に積もっている雪がサラサラの粉雪だと想像できます。
「銀色に輝く狐と足あとのコバルトの影」を想像すると、月の光に照らされて白一色の世界に色が浮かびあがって来ます。
色を花に例えるのも、とてもおしゃれで想像が広がります。
「手ぶくろを買いに」というタイトルから想像すること
「手ぶくろを買いに」のあとに言葉をつなげて、あらすじを説明すると。
- 手ぶくろを買いに行けない母狐
- 手ぶくろを買いに子狐だけで人間の町に行く
- 手ぶくろを買いに行くため片手だけ人間に化ける
- 手ぶくろを買いに行った帽子屋で狐だとばれる
- 手ぶくろを買いに行って無事手ぶくろを買う
- 手ぶくろを買いに行ったあとの親子の会話
簡単に説明しましたが、それぞれの出来事には深い意味があると思います。
新美南吉さんの優しい文章と、黒井健さんの温かいイラストに包まれてみてください。
どうして子狐だけで人間の町に手ぶくろを買いに行ったのでしょうか。
今の時代子供だけで危険な場所へ行くことは、母親目線だと納得がいかなくて、どうしてなんだろうかと疑問に思います。
けれど新美南吉さんが生きた大正末期から昭和初期は、本家分家、養子、異母兄弟など家族の形が色々ありました。
まだ小さなうちから奉公に出ることもあります。
新美南吉さんは4歳で実母を亡くしています。
新美南吉さんが「手ぶくろを買いに」を書いたのは20歳の頃ですが、親の立場ではなく子供の立場で書いたのではないでしょうか。
幼い子供がお母さんに褒めてもらいたい、早く一人前になりたい、そんな思いを子狐に託したのではないでしょうか。
時代は移り変わるけれど、作品は受け継がれる
時代が違えば常識も変化して行く中で、新美南吉さんが作品に込めた思いは何でしょうか。
児童文学者の与田準一さんは、夭逝された新美南吉さんの生涯をかけて追及したテーマは「生存所属を異にするものの魂の流通共鳴」であると説いています。
悲哀の中に愛を求め続けた新美南吉さんは、人と人、人と動物、そういった異種間関係の中の家族を描き未来に希望を託したのではないでしょうか。
SDGsがうたわれる現在において新美南吉さんのテーマは、人のあり方を考える大きなきっかけになりうるような気がします。
50年後の未来では、手ぶくろを買いに行く子供だけの危険な道のりにロボットが同行している?
そもそも出かけなくても空からほしい物が届けてもらえる?
そんなことを想像してみます。
今とはまた違う時代になっているだろう未来で、所属を異にするのはロボットでしょうか、AIでしょうか。
そんな時代に「手ぶくろを買いに」を読むと何を思うのでしょうか。
新美南吉さんは29年7ヶ月の生涯でたくさんの言葉を残されています。
余の作品は、余の天性、性質と大きな理想を含んでいる。だから、これから多くの歴史が展開されて行って、今から何百何千年後でも、若し余の作品が、認められるなら、余は、其処に再び生きる事が出来る。此の点に於て、余は実に幸福と云える。(昭4・3・2 日記)
引用元:新美南吉記念館/新美南吉の言葉
たとい僕の肉体がほろびても君達少数の人が(いくら少数にしろ)僕のことをながく憶えていて、美しいものを愛する心を育てて行ってくれるなら、僕は君達のその心にいつまでも生きているのです。(昭18・2・9 教え子の佐薙好子に宛てた葉書)
引用元:新美南吉記念館/新美南吉の言葉
新美南吉さんの思いは、多くの作品を目にして、その作品を手に取った方々に受け継がれて、そして生き続けて行くのだと思います。
多くの方が、新美南吉さんの作品に触れその思いを感じた時、新美南吉さんと共に時代を駆け抜けているような気がします。
黒井健さんの優しいイラストが物語を想像する一助になっている
新美南吉さんの情景を表すきれいな言葉通りに、黒井健さんのイラストがそこにあります。
色鉛筆の温かいイラストは妙に物語とマッチして心が引き寄せられます。
黒井健さんは絵本のイラストを描くとき、その物語を何度も読み込んでこの感じというイメージを捉えてから描かれるそうです。
イラストと文章がピタリとはまると、目と耳から同時に情報が入り想像力が豊かになります。
大人も子供も絵本の魔力に取りつかれてしまいます。
あとがき
母狐の「ほんとうに人間はいいものかしら。 ほんとうに人間はいいものかしら 。」という同じ言葉を繰り返す最後のせりふには、読者への希望も込められているのではないでしょうか。
人間はいいものであってほしい、いいものになってほしいと言っているように思います。
「新美南吉記念館」が愛知県半田市にあります。
ホームページはこちらから訪問できます↓
「黒井健絵本ハウス」が山梨県北杜市にあります。 ホームページはこちらから訪問できます↓
読んでいただきありがとうございました。
またお目にかかれますように。
コメント